大航海日誌

私の名は「ジョニー佐山」星たちの眷属である。何時の日か私の子孫が人類帝国を築くことになるだろう。
 ポルトガル近辺の相場調査を終え、「佐山」ノートをまとめ上げた私は、ギルドから「今度はバルセロナ・パルマなどの西地中海の市場調査の仕事もしてみないか」と打診された。私は西地中海の入港許可証は持っていたが、未だにジブラルタル海峡より奥へは足を踏み入れたことはなかった。未知の世界への冒険は大変魅力的ではあったが、持ち前の慎重さから、ついつい足場固めを優先してしまっていた。今回の依頼は良い機会なのかもしれない。無法者のひしめく異国への冒険や、文明及ばぬ新市場の開拓や、この世の物とは思えぬ珍しい物産の発見が、私を待ち受けているのだろう。熟考の末、私はこの仕事を引き受けることにした。「佐山ノート」にも西地中海版が追加されるだろう。
 「佐山ノート」とは別に、私は今回の旅にもう一つの野望を持っていた。それは、もう少し大きな船を持つことだった。商売は投資を繰り返すことで拡大する。今の船に愛着がない訳ではなかったが、金をケチって小さな船を大事にするより、短期間でより大きな船に乗り換える方が、早く身上が大きくなる。幸いなことに、今よりワンランク上の船に乗り換える程度の金は貯まっていた。私はリスボンの船大工の棟梁に会いに行った。一見頼りなげな小柄で痩せた老人だったが、手のひらに刻まれた皺が、彼が経験豊富な技術者であることを物語っていた。棟梁は幾つもの出来合いの船を見せてくれた、そのどれもが豊富な知識と経験に裏打ちされた素晴らしい船である事が伺えたが、残念ながら私が欲しい船種ではなかった。棟梁によると、港ごとに造られ売られる船が違うという。折角、船を新調するなら妥協はしたくない。私は今度の旅で、理想の船を見つける事に決めた。
 ポルトガル中の特産物を満載した私の船は、ジブラルタル海峡を抜けて、地中海に進入した。それらの品々で地中海内の人々の度肝を抜くつもりだった。海峡を抜けると、それまで降っていた陰鬱な雨が止み、青い空と穏やかな波が広がった。そして、私が地中海で最初に目にしたのは、火を吹く大砲と、黒こげた帆船と、波間にたゆたう夥しい死体だった。雁行に並んだ巨大な帆船の艦隊が、提督の怒号と共に大砲を斉射した。死をも恐れぬ海賊を満載したガレオン船は、吹き飛ばされた僚船の残骸を乗り越えて突撃する。戦闘海域外にも、大小の海賊やその海賊すらも食い物にする海軍崩れや賞金稼ぎの荒くれ者がうようよしていた。まさに「腐敗と自由と暴力」の海が私を歓迎していた。それが太古にローマ人が「マーレ・ノストゥルム(我らが海)」と呼んだ地中海だった。私は艦隊戦の真っ只中に船を進めた。出来れば近寄りたくなどなかったが、戦場が寄港予定地の入り江を塞いでいたので仕方がなかった。もはや障害物に過ぎなくなった撃沈した軍艦に比べれば、私の船などヨットにしか見えなかった。だからだろうか?そんな私の船を気に留める者はなかった。
 戦火を潜り抜けて上陸したマラガは、拍子抜けするほど長閑で平和な街であった。海上の砲声はここまでは届いて来ないようだった。アーモンドやガーリック、サフラン、サンゴなど、ポルトガルでは見られない珍しい物産が、ここが異国であることを意識させた。それまで私が持っていたイスパニアの印象は、唯一の窓口であったセビリアの特産物である銃や大砲など、鉄や武器の冷たく硬いイメージであった。しかし、このマラガを始め、それ以後巡ったバレンシア・パルマなどの街は、温暖で湿潤な気候を反映した、食品や嗜好品が豊富な豊かで平和な街であった。
 慣れぬイスパニア語に苦労しつつ、私はなんとか予定されたパルマ・バレンシアの市場調査を行った。試しに手を出したサンゴやサフラン交易で痛い目も見た。「佐山ノート」も枚数を重ねた。新たな市場で交易を行っていける下地を固めた。目的を達した私は、一旦リスボンに帰る事にした。次に来る時は本格的に商売をするつもりだった。
 久しぶりに見たリスボンの町並み。商人ギルドに顔を出し、仲介人に調査結果を報告すると、怪訝な顔をされてしまった。話が食い違うので、契約書を確認すると、報告相手はマルセイユの交易商人だった。なんと私は、わざわざ地中海まで行って置きながら、依頼の最終目的地の一歩手前で引き返してしまっていたのだ。この時ほど自分の愚かさが嫌になったことはない。私は懐かしきリスボンに帰って来て早々、気恥ずかしさから逃げるように地中海に引き返すことになった。
 一度目はあくまで様子見だったが、2度目は本気で商売をする事にした。私の手元には「佐山ノート」がある。派手で有名な交易品には手を出さない。それらは皆が手を出すから値が崩れてきっているし、長距離を運ばざる得ないから商品用の貨物スペースも確保できない。それより地元民しか知らないような地味で目立たない商品を、相場に応じて、港から港へ短距離を大量に運ぶ。手間は掛かるが、リスクが少ない上に利幅も大きい。それが私の確立した商法だった。マルセイユまでの各港に寄港する度に、私の財産は雪だるま式に増え続けた。
 海上から眺めるマルセイユは、朝焼けに赤く染まり美しく輝いていた。麗しきフランスの主港。ローマ時代から栄える歴史と伝統の港町。船乗りたる者、一度は来なければ行けない聖地だった。上陸したら先ず真っ先に酒場に向かい、苦労を掛けた船員たちにフランス産のワインを振舞おう。マルセイユは、町並みの美しさと歴史の長さと港の利便性の割には、どこか人が少なく見えた。「ろぐいん時間」なるものの所為だろうか?或いは、フランスという国が、未だ政策として交易と海運に積極的になっていない所為かもしれない。それでも、ここが交易の拠点として、この上ない立地にある事に変わりなかった。私はマルセイユの交易商の元を訪れて市場調査結果を報告し、今回のこの長い旅を締めくくった。そしてそれを記念し、この地で船を新調する事にした。
 私は小型のキャラベル船を選択した。目をつけていた船種より貨物スペースは小さいが、船足が速く、乗員も少なく済む。それでも、何人かは新たにこの地で雇う事になった。海に生きる男たちは根っこの所に同じ気脈を持っている、新雇用のルーキー達は私の古参の水夫達とあっさり溶け合ってしまった。私は新しい船に満足した。実際、私程度の商人では、この船の容量以上の荷を扱うには、文字通り"荷が重い"だろう。それよりも、この船の足の速さと小回りのよさは、貨物スペースの不満を補って余りあるものだった。地中海を行きかう船に比べれば、この船でも、まだまだ小さい部類だろう。しかし、この船は私の成長の証であり、私の誇りだった。それまでより少しだけ高い甲板上から眺める地中海は、夕日を乱反射して宝石をぶちまけたようだった。そして、商人になった時にギルドマスターからプレゼントされた短剣を取り出し、新品のマストを撫で、そこにマルセイユ生まれのこの船の名を刻み込んだ、「大西洋の虎号」と。あ、字を間違えた。

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